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映画『欲望 BLOW-UP』〜絶妙な距離の間に浮遊する「見えないもの」

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家で映画を観るような時間を無理矢理作って、友人から借りっ放しだったDVDを観た。
観たのは、ミケランジェロ・アントニオーニの『欲望 BLOW-UP』という映画。
あらすじはWikiで

不条理な寓話に満ち溢れていてさっぱり内実が掴めないけど、それが良かった。この映画は60年代ロンドンの風景や若者のファッション、公園の静寂さを独特な空気感で撮ってはいるけれど、そこに監督が示そうとしたものは存在しないと思う。いや、正確に言うと、「存在しない」何かをそれら風景を収めたフィルムのなかにそっと吹き込んだような感じ。 消失した死体やエアテニスでの見えないテニスボールが象徴するように、「見えない何か」をこの映画ではささやかに且つ挑発的に誇示している。

主人公が写真を引き伸す(=blow up)ことでネガに死体が写っていることを突き止めるシーンでも、引き伸された写真は粒子がとても粗くて、観る側には本当に死体が写っているのかよく分からない。モノクロの粒子のなかに、なにかノイズらしきものが見て取れるくらいである(その写真を観た恋人(?)の女が、友人である抽象画家の絵に似てると言ったのは凄く示唆的。この画家は最初の方で自分の絵について「最初は混沌としていて、やがて形をなしてくる」と語っている。このセリフはこの映画のテーマそのものにも適用できる)それらはフィルム上に写っていない=「存在しない」のに、観る者は映画に写っていない消失された物体(身体)に魅了されている。主人公も自分の中で確実性を得ない「死体」というビジョンに魅了され、それをなんとかこの手で可視化しようと写真を引き伸ばし、さらにカメラを手に翌朝の公園へ足を向ける。こういった「見えない」ものの影を雰囲気で漂わせるこの映画の構造がなんだかとっても不思議で、雨上がりのような湿っぽくもぼんやりとした喪失感を感じた。

死体の非存在性に惹き付けられていく主人公が、徐々にニヒルさを失って混乱の表情を浮かべていくところもよい。なんか映画の最初と最後では、全然顔つきが違ったような気がする。

主人公である写真家が、公園で逢い引きする男女の写真を盗み撮るシーン。
このときのカメラを構える主人公と被写体である男女との距離感、ひいてはこの一連のシーンを捉えたときの、緑の芝生を俯瞰で撮ったカメラと主人公との距離、主人公の立ち位置、そして風に枝木がなびく音がするだけの緊迫感のある静けさが個人的に堪らなかった。

なんというか、こういう情景が僕が写真を撮るときの理想だ。
それをドンピシャリと突かれた感じがして、このシーンは非常にお気に入り。

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この何もない空間に「見えない何か」が浮遊しているような気がする。

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